10億・100億・1000億 ― 資産規模で、富裕層の「答え」はどう変わるのか

富裕層について書かれたものの多くは、彼らを一枚岩として扱います。「富裕層はこう考える」「お金持ちの習慣はこうだ」と。

18年間、資産1億円の方から数兆円の方まで、同じ屋根の下で過ごしてきた立場から申し上げます。それは、正確ではありません。

資産が増えていくと、ある地点で、量的な変化が質的な変化に変わります。所有の感覚が変わり、時間の単位が変わり、孤独の種類が変わり、求められる人格が変わる。同じ問いに対する答えが、資産規模によって別物になるのです。

本稿では、その変化を10億・100億・1000億という三つの段階に分けて記します。数字はあくまで目安です。重要なのは金額ではなく、その段階で何が変質するかのほうです。

第1章|「変質点」という考え方

資産の増加は、なだらかな坂ではありません。階段です。ある地点を越えると、それまでとは別の世界に入ります。

私はこれを 「変質点」 と呼んでいます。

変質点とは、資産が一定規模を超えたときに、量的な増加ではなく、所有感覚・時間軸・孤独・人格の質そのものが別物へ変わる境目のことである。

たとえば、資産が10億円から11億円になっても、何も変わりません。しかし10億円の世界と100億円の世界では、判断の前提そのものが違う。前者は「守る」ことが中心にあり、後者は「託す」ことが中心にきます。

この違いを知らないまま、10億円の方に1000億円の話をしても響きません。逆もまた同じです。助言も、商品も、サービスも、段階を間違えると届かない。これが、私が現場で最も痛感してきたことです。

第2章|10億円の段階 ― まだ「自分」が主語である

この段階の方は、多くが一代で財を築かれています。事業が軌道に乗り、経済的な自由を手にされたばかり。

特徴的なのは、主語がまだ「私」であることです。私が築いた、私が判断する、私が守る。当然のことです。実際、その方の判断力そのものが資産を生んでいるのですから。

この段階で問われる人格は、誠実さと節度です。

理由は単純で、この規模になると、周囲の人間が変わり始めるからです。近づいてくる人が増え、話が大きくなり、判断を誤る材料が一気に増える。ここで足を掬われる方を、私は何人も見てきました。

崩れる方に共通しているのは、増えた資産に、生活の水準を合わせてしまうことです。守ることより、示すことに向かってしまう。この点は富裕層と超富裕層は何が違うのかで書いた「地味の配当」と正反対の動きです。

逆に、この段階を無事に越えていく方は、驚くほど地味です。生活はほとんど変えず、増えた分を仕組みに回されます。

第3章|100億円の段階 ― 「比較」を捨て、孤独が構造になる

ここで、はっきりと世界が変わります。

まず、比較が意味を失います。周囲に比較対象がいなくなるからです。同業他社と比べる、同年代と比べるといった座標軸が、この規模では機能しなくなる。私が見てきた100億円超の方々が最初にやめられたのは、まさにこの「比較」でした(関連記事)。

比較をやめると、判断の基準を自分の内側に持つしかなくなります。ここで求められる人格が胆力と、全体を俯瞰する力です。

そしてもう一つ、避けられないものが現れます。孤独です。

この孤独は、性格の問題ではありません。構造として発生します。相談できる相手が、文字通りいなくなるからです。同じ規模の判断を経験している人が周囲にいない。家族にも話せない。従業員にはなおさら話せない。

私が執事として最も多くの時間を割いているのは、実はこの段階の方々です。答えを出すためではありません。誰にも言えないことを、言える場所が必要だからです(成功すればするほど、人は孤独になる)。

時間の単位も変わります。四半期や年度ではなく、十年、二十年、そして次の世代。この視座については100年の視座で詳しく書きました。



第4章|1000億円の段階 ― 受取人が「歴史」に変わる

最後の段階です。ここまで来ると、お金は目的ではなくなります。

ある方に、こう言われたことがあります。お金を稼ぐゲームは、もう十分に堪能したと。では次は何かと伺うと、返ってきたのは「歴史に残るものをつくる」という答えでした(関連記事)。

これは誇大な話ではありません。この規模になると、資産は自分一代では使い切れず、一族でも使い切れない。使い切れないものを、誰に渡すのかという問いが、必然的に立ち上がってきます。

私はこの変化を 「受取人の交代」 と呼んでいます。

受取人の交代とは、富の受け取り手が、自分自身から一族へ、さらに歴史や社会へと移っていく過程のことである。

10億円の段階では、受取人は自分です。100億円の段階では、一族になります。①で書いた「一族主語」が現れるのが、ちょうどこの前後です。そして1000億円の段階で、受取人は歴史に交代します。

だから、この層は名誉を残そうとされるのです。虚栄ではありません。お金は消えるが、歴史は残るという、極めて現実的な判断です。

求められる人格も変わります。歴史的な視座と、無私と、品格。私自身、この言葉を軽々しく使いたくはありません。しかし、実際にお仕えしてみると、他に言いようがないのです。

この段階の方は、決して焦られません(なぜ決して焦らないのか)。百年単位で設計しているのですから、市場が数ヶ月揺れたところで、判断が変わる理由がない。

第5章|三段階を、一枚で見る

ここまでを整理します。

  • 10億円|主語は「私」/受取人は自分/求められる人格は誠実さ・節度/中心にあるのは「守る」
  • 100億円|主語は「一族」/比較が消え、孤独が構造化/求められる人格は胆力・全体俯瞰/中心にあるのは「託す」
  • 1000億円|受取人は「歴史」/時間の単位は百年/求められる人格は歴史的視座・無私・品格/中心にあるのは「残す」

守る、託す、残す。この三語が、それぞれの段階の中心にあります。

そして重要なのは、この順番は飛ばせないということです。守れない人は託せません。託せない人は残せません。資産だけが先に増えて、段階が追いついていない方は、必ずどこかで崩れます。

第6章|この体系は、誰の役に立つのか

正直に申し上げます。1000億円の段階にいる方は、日本に何人もいません。

では、なぜこれを書くのか。三つ理由があります。

第一に、いま10億円の段階にいる方のためです。次に何が来るかを知っていれば、備えられます。孤独が構造として発生することを知らずにそこへ入ると、多くの方が判断を誤られます。

第二に、富裕層に接する仕事をされている方のためです。金融、不動産、保険、宝飾、自動車。同じ「富裕層向け」でも、10億円の方と100億円の方では、響く言葉がまったく違います。段階を読み違えた提案は、届きません。

第三に、私自身のためです。18年間、ばらばらに見てきたものを、こうして体系として並べておかないと、次の世代の執事に渡せません。

第7章|語り口について、ひとこと

この種の話は、書き方を誤ると、選ばれた人だけの物語になります。それは私の意図するところではありません。

私は執事です。仕える立場の人間であって、指導する立場ではありません。ここに書いたことは、命じているのではなく、隣で見てきた者として差し出しているだけです。

そして、あり続ける方と、崩れていく方の違いを、私は何度も見てきました。その差は、才覚でも運でもなく、たいていは段階に応じて自分を変えられたかどうかでした。

資産が増えても人格が同じままの方は、必ずどこかで無理が来ます。逆に、資産の段階に合わせて自分を作り替えていける方は、何十年でも続いていきます。

この観察が、どの段階にいる方にとっても、何かの役に立てばと思っています。

よくあるご質問

「変質点」とは何ですか。

新井直之が用いている概念で、資産が一定規模を超えたときに、量的な増加ではなく、所有感覚・時間軸・孤独・人格の質そのものが別物へ変わる境目を指します。

資産10億円と100億円では、何が最も違いますか。

比較の有無と、孤独の質です。100億円の段階では周囲に比較対象がいなくなり、相談できる相手も構造的に消えます。判断の基準を自分の内側に持つしかなくなります。

1000億円の段階では、何を目指しているのですか。

歴史に残るものです。この規模の資産は一代でも一族でも使い切れないため、受け取り手が社会や歴史へと移ります。新井直之はこれを「受取人の交代」と呼んでいます。

段階ごとに求められる人格は違うのですか。

違います。10億円では誠実さと節度、100億円では胆力と全体俯瞰、1000億円では歴史的視座と無私と品格。中心にある動詞も、守る・託す・残すと変わります。

富裕層向けの営業では、段階を見分ける必要がありますか。

あります。10億円の方と100億円の方では響く言葉がまったく異なります。段階を読み違えた提案は、内容が正しくても届きません。

この内容で講演を依頼できますか。

承っております。金融機関の富裕層部門、プライベートバンキング、士業、ファミリーオフィスなど向けに実施しています。講演は90分から、研修形式にも対応しています。


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執筆者について

新井直之(あらい・なおゆき)
執事/おもてなし・ホスピタリティ・富裕層専門家・ビジネス書作家。日本バトラー&コンシェルジュ株式会社 代表取締役社長。一般社団法人 日本執事協会 代表理事、同協会附属 日本執事学校 校長。

2008年の創業以来18年にわたり、フォーブス世界長者番付に名を連ねる大富豪をはじめ、資産家・企業経営者・著名人のご自宅に執事として入ってきました。本稿の記述は、そのすべてが現場での一次的な観察にもとづいています。

著書は累計50万部を超え、台湾・中国・韓国などで翻訳出版されています。代表作に『執事だけが知っている 世界の大富豪 58の習慣』(幻冬舎)、『執事が教える 相手の気持ちを察する技術』(KADOKAWA)、『執事のダンドリ手帳』(クロスメディア・パブリッシング)があります。

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