信頼回復の90日 ― 謝って終わりにしない、関係の立て直し方
クレーム対応の目的を「収束」に置いている限り、信頼は戻りません。
処理は済みます。表面上は収まります。しかし「あの件」は記憶に残り、信頼は下がったままになります。そして次に同じ条件を他社から出されたとき、静かに移られます。
私が申し上げたいのは、その先です。適切に回復されたクレームは、何も起きなかった関係より強くなります。
18年間、執事として資産家のご一族に仕えてきて、これは例外なく確認できました。本稿では、そのための90日を書きます。
第1章|三つの結末を、分けて考える
| 対応 | その後の関係 | 信頼の水準 |
|---|---|---|
| 何も起きなかった | 取引は続くが深まらない。同条件を他社が出せば移る | 横ばい |
| 処理された | 表面上は収束。「あの件」は記憶に残る | 下がったまま |
| 回復できた | 「逃げない人だ」と確信される | 以前より高くなる |
ここに、この仕事の本質があります。
富裕層は、順調なときではなく、困ったときの担当者を評価する。
順調なときの評価は、実はあてになりません。誰でも感じよく振る舞えるからです。差がつくのは、悪いことが起きた後だけです。
第2章|信頼は「約束した日に現れること」でしか戻らない
謝罪の言葉で信頼が戻ることは、ありません。言葉は誰でも言えるからです。戻すのは、約束を守り続ける姿だけです。しかも一度では足りません。三か月にわたって、言ったことを実行する姿を見せ続ける必要があります。だから90日です。
第3章|信頼回復の90日プラン
| 時期 | やること | 要点 |
|---|---|---|
| 当日〜翌日 | 初動・訪問 | 聴くことに専念。説明も弁明もしない。一人では伺わない |
| 7日以内 | 事実の報告 | 調査結果を開示。こちらに不利な事実も自分から出す |
| 30日以内 | 再発防止策 | 個人の反省ではなく、仕組みとして示す |
| 30日・60日 | 報告に伺う | 第1回で改善の実行を、第2回で通常の対話へ |
| 90日 | 関係の再定義 | 何をどこまでお任せいただけるかを確認する |
隠した事実が後から出てくると、そこで完全に終わります。「気をつけます」は対策ではありません。そして呼ばれてから行くのは対応ではなく、追随です。
鍵は一つです。こちらから行くこと。約束した報告を、約束した日に持って行く。それだけです。
第4章|誰に、どの順で伺うか
同族会社の場合、順序を誤ると回復そのものが新たな失礼になります。
- オーナー/会長|最終決裁者。感情で決められる方なので、まずここへ
- 番頭・実務の窓口|飛ばすと、その方の社内での立場を失わせます。次からその方が壁になります
- 後継者(ご子息)|次の二十年の取引相手。今回の姿勢が判断基準として残ります
飛ばさず、同じ説明を、同じ精度で。この構造については 同族会社のクレームは、人事異動でリセットされない にも書きました。
第5章|応じられない要求には、明確に線を引く
信頼回復と、要求を飲むことは別です。応じられないものは、はっきり断ります。ただし断る内容は明確に、断る言い方は最も丁寧に。
| 要求 | 対応 | 言い方 |
|---|---|---|
| 金銭での穴埋め | 応じられない | その形でのご対応はお受けできません。私にできることを、改めてお持ちします |
| 将来の成果の保証 | 約束できない | 将来をお約束することだけは、どうしてもできかねます。想定の幅をご説明させてください |
| 担当者個人への金品 | 一切応じない | 規程によりお受けできません。お気持ちだけ頂戴いたします |
そもそも、富裕層のクレームはほとんどが善意です。資産をお持ちの方ほど、金銭を目的に苦情をおっしゃいません。求めておられるのは、理解されること、敬意を取り戻すこと、今後の安心の三つです。だから金銭的な補償は、そもそも解決策になりません。
第6章|絶対にやってはいけない六つ
一つでも該当すると、そこまでの対応がすべて無効になります。
- お客様の話を遮る|「ただ」「でも」で、聴く姿勢が否定されます
- 外部要因のせいにする|判断根拠を語らない逃げに聞こえます
- 社内規則を盾にする|「規程ですので」は最も嫌われる一言です
- 担当ではないと言う|組織全体への不信に直結します
- 先に「説明済み」と言う|記録を先に出すと、対立が確定します
- 論理で完全勝利する|相手が引けなくなり、要求が硬化します
最後の一つが、最も誤解されています。
上手く勝たない。上手く負けて、幕を引く。
論理で打ち負かすと、相手は退路を失います。退路を失った人は、要求を硬化させるしかありません。完全勝利は、モンスタークレーマーを自分で作る行為です。
第7章|紹介は「お願いするもの」ではない
うまく回復した富裕層のお客様は、最も強力な紹介者になります。
信頼回復 → 「逃げなかった」という確信 → 任される範囲の拡大 → 後継者・法人への波及 → 経営者仲間への紹介 → 何かあれば真っ先に呼ばれる。この連鎖が起きます。
紹介は「お願いするもの」ではなく、回復の副産物である。
悪い評判が通る道と、良い評判が通る道は同じです。縦(一族・法人)と横(経営者ネットワーク)に、同じ濃度で伝わっていく。だからクレーム対応は、最も確度の高い富裕層開拓の機会でもあります。
紹介がほしいなら、紹介を頼むのではなく、困ったときに逃げないことです。この紹介の仕組みそのものについては 富裕層ビジネスの原理 に書きました。
よくあるご質問
信頼はどうすれば回復しますか。
約束した日に現れることでしか戻りません。一度の謝罪ではなく、90日にわたって言ったことを実行する姿を見せ続ける必要があります。
90日プランとは何ですか。
当日〜翌日に訪問して聴く、7日以内に事実を開示、30日以内に再発防止策を仕組みとして示す、30日・60日に報告へ伺う、90日で関係を再定義する。この流れです。
謝罪の順序に決まりはありますか。
同族会社ではオーナー、実務の窓口、後継者の順です。窓口を飛ばすとその方の立場を失わせ、後継者を飛ばすと次の二十年を失います。
クレーム対応で絶対にやってはいけないことは何ですか。
話を遮る、外部要因のせいにする、社内規則を盾にする、担当ではないと言う、先に「説明済み」と言う、論理で完全勝利する。この六つです。
論理で勝ってはいけないのはなぜですか。
完全勝利すると相手が退路を失い、要求が硬化するためです。上手く勝つのではなく、上手く負けて幕を引く必要があります。
富裕層からの紹介は、どうすれば得られますか。
頼むものではありません。困難な局面で逃げなかった担当者に、回復の副産物として生まれます。
この内容で研修を依頼できますか。
承っております。金融機関や富裕層を顧客に持つ企業向けに、クレーム対応と信頼回復をテーマとした研修を実施しています。
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執筆者について
新井直之(あらい・なおゆき)
執事/おもてなし・ホスピタリティ・富裕層専門家・ビジネス書作家。日本バトラー&コンシェルジュ株式会社 代表取締役社長。一般社団法人 日本執事協会 代表理事、同協会附属 日本執事学校 校長。
2008年の創業以来18年にわたり、資産家・企業経営者・著名人のご自宅に執事として入り、日常の一部始終に立ち会ってきました。本稿の記述は、そのすべてが現場での一次的な観察にもとづいています。
著書は累計50万部を超え、台湾・中国・韓国などで翻訳出版されています。代表作に『執事だけが知っている 世界の大富豪 58の習慣』(幻冬舎)、『執事が教える 相手の気持ちを察する技術』(KADOKAWA)があります。
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