おもてなし ・ ホスピタリティの哲学
誰も説明できなかった「心の込め方」をお教えしましょう
どれだけ心を込めてサーヴィスしても、それがお客さまに伝わらなければ意味がない、と考える人もいるでしょう。
しかし、そういう心配は私たちにはありません。
執事は、どのように心を込めたかを相手に伝わるようにきちんと説明するからです。
いやらしい言い方に聞こえるでしょうか? 「そんな、押しつけがましい」「何もいわずに伝わるのが本当の心だ」と感じる方もいるかもしれません。
では少し考えてみてください。
「心を込める」
誰もがよく使う言葉ですが、具体的にどういうことを指すのでしょうか?
企業の研修で、私はよく意地悪な質問を受講者に投げかけます。
「みなさん、心を込めて接客していますか?」
すると、ほとんどの方が例外なく、「自分は心を込めてお客さまに接しています」と手を挙げます。
頼もしい限りです。
そして、ここからが意地悪です。
「では、心の込め方を知っている方、手を挙げてください!」
こう質問すると、みなさん必ず「えっ?」という顔になります。当然、手が挙がることはありません。
じつは、心の込め方には正解がないのです。
「どういう場合にどういうことをされたら心を込めてもらったと感じるか」という明確な基準は接客される側にもないのです。
さらにいえば、「心を込めた」というのは、あくまで主観ですから、自己満足の行為です。
残念ながら、こうすれば心を込めることができる、というマニュアルは存在しません。
それにもかかわらず、「心を込める」はサーヴィスを提供する側にとってマストの姿勢であると考えられ、サーヴィスを受ける側にとっても重要な評価ポイントとなるのです。
カウンター越しに女将さんが料理やお酒を出してくれるような、雰囲気のいい小料理屋に行ったと想像してみてください。
一杯目のビールとともに、女将さんがつき出しを無言で出してきました。
味のよくしみ込んだブリ大根です。
あなたは「おいしい」と感じるかもしれませんが、それだけでは、心が込められたとまではおそらく考えないでしょう。
では、女将さんがこうつけ加えたとしたらどうでしょうか。
「じっくり煮込んだブリ大根ですが、お口に合うかしら」
この言葉があるだけで、あなたの頭には女将さんが時間と手間暇をかけて、いい換えれば「心を込めて」つくった特別なブリ大根だと感じられるのではないでしょうか。
「特別」を伝えることが大切です
心を込めた料理、心を込めたサーヴィスというものは、じつは感じ取ることが難しいのです。
こだわった料理であることにうすうす気づくでしょうが、そこに言葉がなければ「心を込めた」とまではなかなか感じられません。
いわば、サーヴィスにまつわるストーリーを知るかどうかということですが、何ひとつ材料がない状況でそれを類推しろというのは土台無理な話です。
想像するのは勝手ですが、じつはそれは的外れで、もしかしたら缶詰のブリに昨晩切っておいた大根を合わせただけの間に合わせ料理かもしれません。
「心を込めた」サーヴィスであることは、サーヴィスする側が言葉で伝えなければいけないのです。
私は、たとえばイベントの記念品など簡単に入手できないボールペンをプレゼントするとき、ただ「ボールペン、どうぞ」といって渡すことはしません。
それが特別なボールペンであることをきちんと伝えます。
伝えなければ、渡された相手はおそらく「心」に気づきません。
仮に、長蛇の列に並ばなければ買えないことで有名なケーキをプレゼントする場合でも、相手がそのエピソードを知らなければ、感謝してくれるでしょうが、特別な感慨は起こらないでしょう。
もちろん、伝え方は「恩着せがましくならないように、さりげなく」がポイントです。
「私は毎日忙しいんですが、あなたのために時間を割いてイベントに参加し、特別な記念ボールペンをもらってきました」
などといって渡したら、相手はありがたがってくれません。
「心を込めた」ことは、相手の評価に委ねられます。
その一方で、相手が「心を込めた」と判断してくれた場合には、サーヴィスとして大きなポイントを稼げることも事実。
ですから、「心を込めた」サーヴィスをするときは、相手にきちんと気づいてもらえるように、先手を打ってきちんと説明することを意識してください。

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