おもてなし ・ ホスピタリティの哲学 |
動作の先にある相手の気持ちを共感しましょう
おもてなしができる人に生まれ変わり、おもてなしのできる人を演じられるようになり、自分のサーヴィスマインドに自信を持ちはじめたころ、落とし穴が待っています。
サーヴィスパーソンが「よかれ」と思ってしたことが、相手にはまったく「よかれ」ではないことです。
私の体験から、「これは勘違いだろう」というサーヴィス例を挙げましょう。
とある飲み放題の宴会の席でのことです。
あちこちで談笑が始まったころに、店員が来て「飲み放題はビールとワインと……」と大声でいい出したのです。
当然、多くの人は話を中断されました。
あとでそのことを店員に諭したら、「大きな声でご案内すればみなさんに聞こえると思って」というのです。
彼女にとってみれば、悪気はなく、むしろいいことだと思っての行動のようでしたが、独善的なサーヴィスです。
また、料理もサーヴィスも一流といわれる評判のレストランでのこと。
大事なお客さまと商談中、ウエイターが料理を持ってきました。
そして、
「このステーキは大田原牛のヒレの部位をまる2日かけて熟成してつくったもので……」
と料理の説明を始めたのです。
ウエイターとしては、店のこだわりをお伝えすることが料理をより美味しく味わっていただくサーヴィスだと思い込んでの説明なのでしょうが、こちらは商談が中断されたままです。
だからといって商談が一段落するまでずっとそばに控えられているのも困ります。
商談相手が「ウエイターは料理の説明のタイミングを見計らっているな、待たせて悪いかな」と思えば、うまく商談は進みません。
いずれの場合も、自分基準の「おもてなし」ではなく、「いま大声を出したらどうなるか」「いま、このタイミングで料理を出したらどうなるか」を考えてサーヴィスすべきだったのです。
結局「お客さまのために」といいながら、自分の基準で考えてしまうと、ダメなサーヴィス、勘違いおもてなしになってしまいます。
そうならないようにするには、「自分の動作の先にある相手の気持に共感すること」、つまり「自分の言動によって、相手の感情がどう動くかを常に考えること」が大事になってきます。
たとえば執事はお客さまのものを扱うとき、基本的にすべて両手で扱います。
「はい、これ」と、お客さまからバッグやコートを渡されたときは両手で受け取り、両手でお渡しします。
スマートフォンのような小さめのものでも、両手で受け取ります。
「これはお客さまにとって、とても大事なものかもしれない」と思えば、自然に両手が出てしまうのです。
お客さまのものに触れる際は、接触面をなるべく少なくするようにもしています。
そのようにお客さまの「大事なもの」を扱うことで、お客さまは「こんなに丁寧に扱ってくれるなんて」と喜んでくれます。
飲食店の場合を考えてみましょう。
美味しいと評判のレストランに行ったとします。
どんな美味しいものを食べられるのかワクワクして席についたとき、店員がメニューとお水を持ってきました。
そのときに、コップをバンと音を立てて置かれたらどうでしょう。
一気に印象が悪くなります。
その後、出てきた料理がいくら美味しくても、気分はよくありません。
飲み物の出し方、置き方ひとつで人の気持ちというのは変わってしまうのです。
おもてなしができない店員にとっては、飲み物や料理をお客さまに出すことは、単なる「作業」でしかありません。
だから早く終わらせたい。
相手の気持ちはお構いなしに、自分の都合でそのような乱雑な出し方になってしまうのです。
それに対し、おもてなしができる店員は、「こう置けば気にならないだろう」などと考えながら音を立てないようにして置いていきます。
これは「接客」です。
飲食店でも、「自分はお客さまがとても楽しみにしていた料理を提供するのだ」と思うと、おのずと丁寧に扱うようになるはずです。
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Category おもてなし・ホスピタリティの哲学 . ブログ 2020.09.06